おれを信じる奴は無能

死んでも治らない

その反論さすがにズレすぎてませんかね

先日ブコメしたこちらのブクマに、どうやら俺のブコメへの反論らしきブコメがあった。普段はスルーなんだけど、さすがにズレが大きいようなので今回は反応していく。

該当の記事はこの増田。

anond.hatelabo.jp

そして俺がつけたブコメがこれ。

被害者の声を素直に信じるな 真相がわかるまで断言するな

そこらへん簡単に回避できる句として「これが本当なら」ってのがあるんだよね。そもそも真相というのは「現段階では」という同様の回避常套句が前提になっているので、増田を支持するなら「何事をも断定できない」。

2022/01/01 04:15

b.hatena.ne.jp

それへの反論らしきブコメがこれ。

被害者の声を素直に信じるな 真相がわかるまで断言するな

「これが本当なら」は何のエクスキューズにもならないぞ。 「これが本当なら黒人は隔離すべきだ」「これが本当ならユダヤ人は抹殺すべきだ」「これが本当ならウイグル文化は抹消すべきだ」

2022/01/01 13:37

b.hatena.ne.jp

「これが本当なら」で回避できるというのは、「その後に続く文言・命題を真だと錯覚させる(主張できるようになる)」という意味ではなく、「それが真であるならばAであると言える」つまり「真でない(偽である)場合は、私の以前発言した『Aである』という主張は無効である」という意味。

例としてAの部分が「黒人を隔離すべき」ないし「ユダヤ人は抹殺すべき」「ウイグル文化は抹消すべき」という根本的な人権問題を挙げてるのが俺のブコメへの反論らしきコメントだが、この「これが本当なら」論法はむしろ人権にかなった主張「黒人を開放すべき」「ユダヤ人を迫害すべきでない」「ウイグル文化を保護すべき」という内容でも使用できる。AだろうとNot Aだろうとなんでも入れていいんだよ。なぜなら「Aという命題・主張の内容に関係ない」から。だから俺は増田が俎上にのせたVTuberにはまったく言及していない。Aの内容には関係ないぞという主張だから。

たとえば俺がどっかのコメント、それはブコメでもツイートでもなんでもいいんだが、どっかの発言を拾ってきて「これが本当なら、この被害者を保護しないといけない」と発言したとしよう。だがもとより引用したブコメorツイートが事実でないデマで「そもそもそんな被害は発生していない」なら、俺がしたその主張の「保護すべき被害者」なんて存在しないわけだ。だから「これが本当なら、この人を保護しないと」は「これが本当でないなら、私の主張は意味をなさない」であり、それは往々にして「これが本当でない場合は、ソースの信頼性が損なわれることにより『私の発言により生じるいかなる責任も無効』となる」と責任逃れに使われる可能性があるってことを言ってたわけよ。

だから俺の主張は「発言の論理構造」のみに着目していて、「発言の内容」には一切言及していない。もっと厳密に言えば「論理的・記号論理学的な構造」ではなく、「レトリック・修辞学的なスピーチとしての構造」について着目していた。

超ザックリ言うと「増田よ、君は被害者を信じるなと主張したな。だがそれなら増田よ君自身は信用できるとでも言うのか。世の中の誰なら信用できると断言できるのか。究極的には誰も信用に値しないのではないか。だとしたら我々は誰をも信用するべきでなくどんな主張をも信頼するべきではないのではないか?」という究極的懐疑主義・不可知論について言及したわけよ。増田は「真相が分かるまで」と条件を付けたが、冤罪や真犯人判明などの出来事が発生することから分かるように、真相なぞ「将来いつか覆りうる情報」に過ぎない。「とりあえずこれが正しいってことにしておこう」という約束を社会でデッチ上げてるだけだ。そこを考慮するなら「人はいつまでも断言できない」のではないの?

俺たちはいつでも誰かの発言に反応している。そこには「本当にこの人がこの発言をしたのなら」という隠された前提が常にある。たとえば「アベガー」だとか「ジミンガー」だとか「ツイフェミガー」だとか揶揄されうるような主張においても、「安倍晋三が本当にそういう主張・態度を取ったのなら」「ツイフェミたちが本当にそういう主張・態度を取ったのなら」という前置きが隠れてるわけだよ。そしてその信頼性はもちろん情報源であるソースに依拠する。ブクマカは常に生成されたページのコンテンツ内容に反応する。俺たちは常にそのソースが真であるかどうかを担保し、嘘・デマであったときの責任を引用者も背負わないといけないのか、という話だ。ネガキャンでない証明を常に行わなければならないのか。だったら口から言葉を発して、文章を書き、キーボードで文字列を打つ行為はおしなべて愚かだ。自ら責任を無為に背負いに向かう行為だから。

だから俺たちは「これが本当なら」「この引用元の情報が正しいなら」というエクスキューズを使うわけだ。そのエクスキューズは「情報を引用する私たちはその情報源・ソースの信頼性を担保しない」という逃げ口上だ。この論法は、反論として挙げられたような非人道的主張どころか、Aに入りうるいかなる文言・命題をも補強しないし正当化もしない。

俺が嫌いなら嫌え。俺に間違ったところがあれば指摘しろ。印象操作をしたいなら好きにしろ。非表示にしたいならすればいいそれが君らの権利だ。だがあまりにズレてることがあれば、俺は指摘する。

あと俺への反論とかじゃなかったら言っていただければこのエントリ自体を消します。このエントリの主張はあくまで「『その反論らしきブコメは俺のブコメへの反論である』が正しいなら」という前提があるときだけ意味があり、その前提が誤っていればこのエントリ自体に価値がないので。